長安から戻ってきてからの劉曄殿は、以前にもまして鋭くなったように思う。
朝歌の周浚等と戦略を突き詰め直して視界が開けたのだろうか。
いずれにせよ、いざという時の踏ん切りの良さは流石。
越殿の言う所の『死地を踏んだ場数の違い』を見せつけられる思いである。
しかし、平陽に八万、濮陽に九万という敵を目前にしながら、
上党と鄴の将の九割を入れ替えるなど、思い切りすぎというものではないだろうか。
沮授(徐邈への書簡)『布教記雑付記集・巻四十六』
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mylist/6546008歴戦文化祭まであと1カ月弱。お楽しみに。公式動画マイリス>
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