【1尋牛】牛を尋ねる、捜すということが修行の第一歩にたとえらるる。ところが、この尋ねるというのが、そもそも誤りの本で、種々の面倒はこれから始まる。実はなくしていないものを、なくしたと思って捜しているのである。【八.人牛倶忘】我というものを忘れる。即ち忘我の境にはいる。三昧である。ここに純粋な自分の姿を見る。【十.入てん垂手】自利はやがては利他でなければならぬ。これが(大乗)仏教の眼目であって、仏教徒は人の中に入って、本当に救済の事業をしなければならぬのである。次
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