ドイツ東部の町ウリーツェンで、8日に行われた追悼式典。この式典は、66年前に現地で亡くなった医師・肥沼信次さんをしのぶもの。町長は「彼の献身的な行動と崇高な人間性は、後世への遺産です」と述べた。肥沼さんは、1937年にドイツに留学。第2次大戦直後、チフスが大流行したウリーツェンで、ほかの医師が誰もいない中、1人で住民の治療にあたった。そして、自らもチフスに感染し、1946年3月8日に亡くなった。肥沼さんの墓標には、ドイツ語で「伝染病に対する無私の行動で命を落とした」と刻まれている。2011年、この町では、東日本大震災に見舞われた日本を支援しようと募金活動が行われ、3カ月で7,000ユーロ(およそ75万円)の義援金が集まった。・・・