1990年コンサート映像より。この年のツアーでは大掛かりな舞台セットを組み、全てのカメラがフィルム撮影という何ともバブリーなものでした。90年代によく見られた派手なカラースーツとリーゼントの組み合わせも必見です。また「海外のサウンドを直に感じて欲しい」という想いのもと、バックメンバーを全て外国人で構成し全34公演を敢行しました。これは当時としては異例の少なさであり、法により海外アーティストを興業のために日本に一定期間以上滞在させられないことが原因でした。そのため矢沢永吉は、翌91年に日本音楽界に先駆けて招聘ライセンスを取得しています。