赤入道、宗全の攻めを見るがいいッ!!
応仁の乱、西軍総大将:
山名持豊。別名:
山名宗全。"赤入道"とも呼ばれる。
策謀家として知られる東軍総大将:細川勝元とは対照的に、宗全は武骨な直情家であったと言われる。
かつては共通の目的の為に政治の舞台で協力した二人であったが、征夷大将軍:足利義政の継嗣争いを主な理由に敵対。
10年以上にも渡る応仁の乱が勃発し、主戦場になった花の都:京都周辺は焦土と化したと言われる。
長く続いた応仁の乱の最中、老齢に達した宗全は70年の生涯に幕を閉じた。
長兄の戦国大戦:
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