佐賀県唐津市にある名護屋城址は
天下統一を果たした豊臣秀吉によって、天正19年(1591年)から翌年にかけて、
加藤清正、寺沢広高が普請奉行となり、わずか8ヶ月で築城され、
唐入りの為の文禄・慶長の役の前線基地となりました。
当時、大阪城に次ぐ二番目の規模の巨城が肥前の漁村に突如として現れ、
朝鮮へ渡った兵士約20万、名護屋在陣の兵士約10万の計30万もの陣立ての
中心となっていました。
太閤秀吉の死後に廃城となり、唐津城へ石垣が移植されたり、
島原の乱以降に石垣の破却等ありましたが、
当時の遺構がほぼそのまま残る貴重な城址となっています。
今回は大手口から、東出丸、三ノ丸を散策します。
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