カタルーニャのウロト出身。6歳でオルガンと作曲の勉強を始め、モンセラート修道院の聖歌隊員に加わる。1744年にセオ・デ・ウルゲル大聖堂でオルガニストと副助祭に任命される。後に、ジェイダ(Lleida)とエル・エスコリアル修道院の付属礼拝堂指揮者に任命された。23歳で叙階を受け、マドリッド近郊のエスコリアル修道院で日課を過ごし、それから31年間を一介の聖職者として過ごした。一日のうち20時間を祈りと瞑想、農耕に過ごし、単調で飾り気のない日々を送った。それでもなお、このように禁欲的な環境の中で、500曲以上の作品を残し得たのである。WIKI