朱子学は、源頼朝が将軍だった頃に、真言宗泉湧寺派の僧侶・俊芿(しゅんじょうが宋より朱子学の書を持ち帰ったのを始めとし、その後鎌倉時代に中国(南宋)から来日した臨済宗の僧侶たちによって朱子学が伝えられ、南北朝時代になると、天台宗の僧侶・玄恵(げんえ)が後醍醐天皇に朱子学を教え、天皇はそのマニアとなり、多くの悲劇(忠臣たちの犬死)を生むことになる。秀吉の慶長の役の時、朝鮮より連れてこられた姜沆(きょうこう)は、臨済宗僧侶の藤原 惺窩(ふじわら せいか)最新の朱子学を伝え、その弟子の林羅山は家康に仕え、朱子学で幕藩体制の思想的根拠を築きます。