2014年の12月、岡山県岡山市にある備中高松城を訪れました。
築城時期は不明ですが、三村氏が備前の宇喜多氏に備えて築城したとされ、
天正3年(1575)、三村氏が毛利氏に滅ぼされた後は、清水宗治が城主となりました。
天正10年(1582)、旧暦の四月、羽柴秀吉率いる織田軍は高松城への攻撃を開始するも、
清水宗治以下、城兵がよく持ちこたえ、織田軍の損害も大きかった為、
秀吉の軍師、黒田官兵衛は、高松城が低地にあることを逆手にとり、水攻めを提案、
城の周囲を築堤で囲った秀吉は水攻めを成功させ、城の大部分が水没します。
城主、清水宗治は城兵の助命と引き換えに水上の船で切腹、高松城は開城しますが、
織田信長が本能寺の変で討たれた二日後の出来事でした。
Stilett殿・MINAMINARUN殿、広告ありがとうでござる。
お城→
mylist/37297571