Youtubeからの転載です(
https://www.youtube.com/watch?v=heaPy7cBMHA)。1863年、それまでピアノ曲や歌曲といった小規模作品を手掛けていたグリーグは、初めての大規模な管弦楽曲作品として交響曲の作曲に取り組み、翌1864年に完成させました。
作品はメンデルスゾーンやシューマンといったドイツ・ロマン派の作曲家の影響が濃厚に見て取れますが、作曲当時のグリーグが20歳(5年後にピアノ協奏曲を作曲)であったことを考えると、むしろきちんと様式に従ったうえで北欧の作曲家として個性を出そうとしている部分を評価すべきかと思います。
しかし、後のグリーグ自身は本作を「ドイツの影響を受けすぎた」と考え、楽譜に
「決して演奏してはならない」と書き込んで、作品番号を付けることもせずに封印してしまいました。 結局この作品が再び日の目を見るのは、楽譜が遺族の手からベルゲンの公立図書館に移され、1981年に蘇演されてからとなります。
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団