2018年の4月中旬、 沖縄県中頭郡中城村の中城(なかグスク)を訪れました。
築城は、14世紀後半頃迄に先中城按司(さちなかぐずくあじ)が
数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、
1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、
三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したとされています。
かつて、貿易が行われていた屋宜の港から2kmほど離れた標高160mの丘の上にあり、
東に太平洋、西に東シナ海、北東に勝連半島を一望できる要衝の地に築かれています。
中城城主の護佐丸盛春は勝連城の阿麻和利を抑える為に入城しますが、
阿麻和利の策略により、護佐丸に謀反の疑いありと誤解した中山王・尚泰久が中城に軍勢を派遣し、
護佐丸は中山の軍に抵抗することはなく、城門を開き自害したといわれています。
1853年に来島したペリー探検隊一行が現地調査を行い、
城壁やアーチ門の素晴らしさを賞賛し、画家のハイネもその時の絵を残しています。
2000年には、琉球王国のグスク及び関連遺産群として
ユネスコの世界遺産に登録されています。
護佐丸が築城した「座喜味グスク」→
sm33092887北山王の居城「今帰仁グスク」→
sm33128989阿麻和利の居城「勝連グスク」→
sm33168574お城→
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