2019年1月29日 10時46分
日銀は世界的な金融危機、リーマンショックが起きた2008年下半期の金融政策決定会合の議事録を公表しました。想定を上回る速さで世界経済が悪化する中、危機対応に苦心した様子が生々しく記されています。
公表されたのはリーマンショックが起きた2008年下半期に開かれた11回の金融政策決定会合の議事録で、このうち4回は世界の中央銀行と協調して危機対応策を取るためなどの臨時の会合でした。
リーマン・ブラザーズの破綻翌日から開かれた9月の定例会合では、日銀の執行部から「金融市場は一変し、緊張感が一挙に高まっている」と、緊迫した報告がありました。
その後も市場の動揺や実体経済の悪化は深まり、日銀は相次いで臨時の会合を開いて世界の中央銀行とともにドル資金の供給などを行ったほか、10月31日の会合では当時0.5%だった政策金利の引き下げに踏み切ります。
この時は引き下げ幅などをめぐって8人の委員から4つの異なる意見が出され、議長を務める当時の白川方明総裁が「長い間会合に出ているが、4種類の意見が出たのは初めてだ。われわれが置かれている厳しい経済の情勢や、政策金利の水準が非常に低い状況の難しさも反映している」と述べました。
金利を下げすぎるとかえって市場の機能を低下させてしまうといった激しい議論の末、金利を0.2%引き下げる議長の提案への賛否が4対4の真っ二つに割れました。
最終的に、異例の議長判断でこの案に決まりましたが、事態が刻々と変わる歴史的な金融危機への対応に苦心したことが浮き彫りになっています。
その後、日銀は12月中旬の会合でも政策金利を引き下げたほか、よくとしにかけても銀行の財務基盤の悪化を食い止めるための株式の買い取りを再開させるなど、異例の対応に追われることになります。