日本に正式に庚申信仰が伝わった時期は判定が難しいところですが、日本書紀などにはすでに4世紀頃から庚申という言葉が使われていた記述がみられたりします。
日本書紀の記述では、皇極天皇は道教の熱烈な信者で、「皇極」という名称自体も道教の最高神の北斗星の北辰神の「北辰」という意味で、しかも、旱(ひでり)のひどい時に北辰神を祀って道教儀式をして雨を降らせた、という記述さえあります。
日本に正式に庚申信仰が伝えられたのは天台座主3代の知証大師(円珍)が唐より帰国する際に持ち込んだ、とされていますが、それより以前の養老8年(727年)にも「続日本紀」の記録で、宮中内裏の酒宴で「庚申」という言葉出てきています。
日本で初の「庚申待」が行われたのは、「日本略記」によれば、朱雀天皇の天慶2年(939年)に「庚申御遊(ごゆう)」が行われたとあります。
こうした、中国から朝鮮半島や日本に伝わった庚申信仰は、日本では本格的に庶民の間で爆発的に流行したのは室町時代の終わりから江戸時代中期頃までにかけてで、明治になると政府によって禁止されています。
三宝荒神と言い、庚申と言い、道祖神と言い、そして宮中や伊勢神宮までも含めて道教思想は日本の信仰の根底をなしていることだけは間違いありません。(詳細は動画内で)