物語の「お約束」の類型から「けものフレンズの続編」として何が失敗だったかを考えました。
けもフレ2の物語として「美少女動物園」を見出していた人には「画が良くなった」で、
「文化英雄」を期待していた人には「物足りない」でしょうが、
「貴種流離譚」や「死と再生」を見ていた人には「ふざけんな」です。
様々な視点があり、見ている物語が違うことを理解していただければ幸いです。
また、1期をこの動画で挙げた視点で見ると、1期は「それ自体で完成した物語」でありながら「2期への伏線」を散りばめていたことが分かります。
きっと、たつき監督の中には2期のすてきな物語が広がっていたのでしょう。
だからこそ、その物語を失わせた「けもフレ2」はつくづく残念な作品というしかありません。
(4/9追記)たくさんのコメントありがとうございます。参考文献は近いうちにまとめます。
物語の類型から「この場面ではこれが必要だった」が見えてきますが、実際の描写は別ですね。
作者の腕前が問われる個所で、たつき監督はこの点で凄いなあと思わされます。
仮説「フレンズへの回帰」は「けものフレンズ」のテーマ「あなたはケモノがお好きですか?」や
1期テーマ曲「ようこそジャパリパークへ」に掛かり、実際に2期ではそれが使われました。
しかし、たつき監督なら「大好きだったんだー(絶叫)」など無粋な表現は取らなかったでしょう。
「ケムリクサ」は未視聴ですが、また、たつき作品の「ここが好き」について語れれば嬉しいです。
(4/25追追記)
じゃぱり氏が英雄の類型について素晴らしい動画(sm34965568)を上げてくれていました。参考文献もそろっているので是非ご覧ください。氏の他の動画、特に三幕構成(sm34764041)やシンボル(sm34930794)の解説も必見です。そして、じゃぱり氏の「かばんちゃんは新しい英雄」という説(意訳)に、私も賛成です。
人類の「物語」は社会の発展とともに変化し、それこそが「世界を認識し、自己を定義しうる」という「ヒト」の特殊性です。「けもフレ」やその考察が多くの人々の関心を引いたのも、その物語が現代人の欲求に合致したためでしょう。
ヨブ記等の神への疑念から新約聖書・グノーシス主義への発展、コペルニクスやダーウィンによる転換、フロイトらによる人間存在への疑念・クトゥルフ神話といった歴史を経て、資源環境問題への新たな哲学を必要とする21世紀初頭に日本でこの物語が誕生したのは、ある種の必然によると考えています。
人類の責任と自然との調和を謳う物語が更に発展することを願っています。