南米のペルーを公式訪問している秋篠宮家の長女・眞子さまは、日本時間の14日、世界遺産のマチュピチュ遺跡を訪問された。
今でこそ世界的な観光地だが、麓の村の発展には、ある日本人が大きな役割を果たしていた。その孫に当たる男性に、眞子さまはどんな言葉をかけられたのか。
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日本時間15日午前、南米ペルーのクスコ。秋篠宮家の眞子さまは市内の大聖堂を訪れ、宗教画などをご覧になった。
120年前から日本人が移住をはじめ、今ではおよそ10万人の日系人が暮らしているペルー。眞子さまは、9日からそのペルーを公式訪問されている。
日本時間の14日は、世界遺産のマチュピチュ遺跡を訪問された。
その後は、遺跡の麓にあるマチュピチュ村へ。そこで眞子さまと、緊張しながら握手を交わす男性は、ペルー生まれの日系人、野内セサル良郎さん。
ペルー生まれの日系人・野内セサル良郎さん「こちらが祖父の写真になります」
実は、彼の祖父、野内与吉さんがマチュピチュ村の初代村長とされている。
日本人移民がなぜ、南米マチュピチュで村長になったのか。そこには、この村の発展に尽力した与吉さんの人生があった。
ペルーと日本を行き来する孫、良郎さんに与吉さんのふるさと、福島県大玉村を案内してもらった。
与吉さんの孫・野内セサル良郎さん「ここは祖父の地元ですね。山の下に祖父の生家があります」
この村で、農家の二男として生まれた野内与吉さん。1917年、22歳になる年に家族の反対を押し切ってペルーに渡った。