ジャニー喜多川さんが死去
SMAPや嵐など数々の男性アイドルやグループを育てた芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」創業者で社長のジャニー喜多川(じゃにー・きたがわ、本名喜多川拡=きたがわ・ひろむ)さんが9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。87歳。米ロサンゼルス生まれ。葬儀・告別式は事務所タレントらで家族葬として行う。
第2次世界大戦後、美空ひばりら訪米した日本の歌手らの活動をサポートし、芸能界と関わりを深めた。日本移住後の1964年、あおい輝彦さんら4人組のジャニーズをデビューさせ、以後50年以上、人気歌手を世に送り出した。(令和元年7月10日 デイリースポーツ/神戸新聞社)
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)が解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため亡くなり一夜明けた10日、所属タレントが、その別れを惜しむコメントを発表した。1980年デビューの“長男坊”近藤真彦(54)は「何度も泣いちゃいました。叱られそう」とコメント。少年隊の東山紀之(52)は「自分たちにとっての父親」と万感を込めて吐露した。木村拓哉(46)も感謝の思いをつづった。
近藤真彦「倒れてから3週間、病室で数々の奇跡を見せて頂きました。あらためてジャニーさんの強さを感じました。タレントと社員が、もしかしたらという心の準備をする時間もいただきました。さすがジャニーさん、最後まで最高なセルフマネージメントでした。長男でいながら、何度も泣いちゃいました。叱られそうです。ジャニーさんありがとう。今の僕があるのは、ジャニーさんのおかげです。あの頃、13歳のあんな僕に声を掛けてくれてありがとうございました。ゆっくり休んでください」
東山紀之「倒れて3週間あったので、ゆっくり時間をかけてさよならすることできました。安らかな顔で天国に行きました。(デビュー前のスカウトで)川崎に住んでいた男の子をよく見つけてくれたなというのが、1番の思い出になります。信念がぶれてないのが素晴らしいところ。やはり父親ですよね、僕らにとっては。大変優しく接してくれた。エンターテインメントの世界では1番の方だと思うので、僕らもその精神を受け継いで、明るく楽しくやっていきます。ジャニーさんが教えてくれた、人に対する優しさやプロ意識がなければ、僕はここに存在していなかったでしょう。改めて、その出会いと深い絆に感謝します。YOU、天国で待っててよ」
木村拓哉「今の自分があるのも、ジャニーさんとの出会いが無ければ…。と思うと感謝してもしきれません。常に現場に立ち続けた姿勢を手本にさせて頂きます。ゆっくりと、休んでください」(令和元年7月11日デイリースポーツ/神戸新聞)
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