世界一巨大仁徳陵が世界遺産に登録された。でも誰も何故巨大な仁徳天皇陵が築造されたか本当の理由を知らない。確かに勢力の力を人々や外国人に見せ付けるには最高だが、余りに大きすぎて人々には大きさがぴんと来ない。こんな巨大古墳を造る必要が当時畿内にあったのか?
・世界一巨大古墳を築造した仁徳天皇を恐怖させた文化が当時東日本に存在していた。それが東日本に存在した原始仏教の勢力者たち。彼らは縄文製鉄時代から受け継いだ巨木文化と、当時東日本で芽生えていた原始仏教の合体文化の木造七重の塔を文化のシンボルとして築造していた。武蔵野国や今台風の災害あって大変な千葉や静岡等に立ち並ぶ木造の七重の塔達、仁徳天皇勢力の使者たちは天高く聳える巨大七重の塔達に・その勢力と技術に驚き負けずと世界一の巨大古墳を築造した。「生活科学の目で見た古代史・・百瀬」
・電子書籍のキンドル本で「緑瓦の奈良の都は紀元前500年頃実在した」の後、今「仁徳天皇陵と原始仏教七重の塔」と言うタイトルの電子書籍も3ドルで出版し動画もアップしました。古代史もクイズみたいに考える時もあって面白さが解っていただきたいですね。ぜひ読んでご感想などお寄せください。
・日本文化は伝来文化ではなく製鉄のルーツ等多くの技術は日本で開発・発明されている事を書いています。2弾目のキンドル本では日本の文化の中に多くの文化=物のルーツ(例えば製鉄・須恵器・ガラスとか)がある事を、写真で簡単に紹介しています。是非読んでみて下さい、ご意見等お聞かせください。ご感想等お寄せください。楽しみにしています。 5・21 百瀬