昭和の名曲「赤城の子守唄」を空っ風ふうが歌う
泣くなよしよしねんねしな 山のからすが啼いたとて
泣いちゃあいけないねんねしな 泣けばからすがまたさわぐ
「赤城の子守唄」は、昭和9年に当時の松竹レコードからリリースされ、東海林太郎氏の歌声で大ヒットしました。
この昭和の名曲はとりわけ、裾野は長し赤城山を擁く群馬県民に愛され続けてきました。
歌の背景は「赤城の山も今宵限りか」で有名な国定忠治が、子分の浅太郎と一緒に赤ん坊を抱えて赤城山を下るというものなのですが、時は移り、いまや昔の侠客ヒーローはぴんと来ない時代になりました。
ですが、朝な夕なに赤城山を見て育った群馬県民の多くは、都会に出て行くなどでその地を去るとき、また帰省してふるさとに戻ったとき、赤城の山を目にすると、赤城の赤城らしい姿に感慨ひとしおなのです。
赤城南麓の原野郷で生まれ育ったあの船津伝次平翁も、中央政府の求めに応じて地方出張などの折、懐かしい思いでこの山を仰がれたのではないか・・・
そんな群馬県民の気持ちにぴったりとはまってくるのが、この曲なのです。
また、2番の歌詞の「親がないとて泣くものか」は、たしかに激動の昭和時代、親が早世し苦労した人はたくさんいましたので、まさに歌詞のとおりでした。 いまや令和の時代になり、昭和がほんとうに遠くになったと感じるこの頃です。 昭和初期に生まれた父母が、恩師が、友人がだんだんいなくなっていくのです。 人々を見守ってくれていた優しいまなざしが、遠のき、舞台の袖に消えてゆく、その寂しさに「親がないとて泣くものか」が呼応し、今もなお琴線に響いてきます。
東海林太郎さんの直立不動の真摯な姿と一体となったこの「赤城の子守唄」ですが、空っ風ふうに歌わせる為に、少しアレンジしました。空っ風ふうにステップを踏ませたかったので、曲のスピードをかなり早くしました。
昭和っぽい?感じを残したいので、モノクロの切り絵は、実際にカメラで撮影したものを使いました。おそろしいほどにアナログ感が出ました。3Dモデルもあえて素朴な味で動かしています。
動画では、飛翔能力があるふうが、赤城山から高山村のぐんま天文台やらロックハート城やらをふらふらして、ダム湖で月明かりに照らされたりしながら歌うようにつくってみました。
ボカロの歌声が、とてもよく伸びてこれはこれでいい感じに仕上がったと思っています。