乃木神社 旧県社だそうです下関市長府
長門二宮「忌の宮」の裏手にある。隣が武道場。
乃木は江戸藩邸に生まれその後16年間長府に暮らしました。
もともと境内地に大正三年に復元された旧乃木家があり、その後大正九年に神社が建立されたそうです。乃木夫妻の銅像などもあります。交通安全の手作り案山子が・・・少々アヤシイですw
東行庵下関市吉田 清水山
現在の東行庵は、明治十七年建立。
付近を江戸時代以前の幹線道 旧山陽道(西国街道)が通る山間の地区である
もともとは山縣有朋の庵無鄰菴を高杉晋作の側室 梅処尼(おうの)に譲ったもの。
高杉晋作の遺言で奇兵隊ゆかりの吉田清水山に葬る。
梅処尼や高杉の家族、奇兵隊隊士なども眠る山。
顕彰碑は明治43年建立 伊藤博文の碑文と揮毫は枢密院の
杉孫七郎(周布政之助の甥)あと発起人の中に山縣有朋さんがいます(高杉陶像の少し下に銅像が建っている)
伊藤博文さんは、顕彰碑の完成を見ることなく ハルビンで無法にも暗殺されました。
石碑には漢文で文章びっしりです。僕は読めないけど^^;
碑文冒頭は名文ですよね 好きです・・・「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し・・・・」
雷電=どうやら伝説的関取 雷電爲右エ門のことらしい。
案内してくれた友人は3回ここから下関海峡ウオークで関門海峡まで歩いたとかすごい。(^^;;
夕方で御詣りと境内散策のみで帰りました。東行記念館の二階に下関市営の資料館あり(未見)
東行墓の奥にはさらに奇兵隊隊士の墓所などあるようです。
下関旅本編1 乃木さんと高杉先生をまとめてでした。
下関旅本編2では住吉神社〜関の明神、唐戸市場と赤間神宮(少し触れて)〜忌の宮へsm36349982