平成25年度(2012年頃)某大学大学院法務研究科提出用
”職務内容を示す文書”
私は現在サーバ機器管理業務に携わっており、IT関連法規や著作権の問題が関連する場面に遭遇することがあった。例えば、Web編集である。組織の公式サイトの編集に関して、従業員が独断で編集しても不正アクセスの疑いをかけられることもあり、引用と転載許諾を得ないと著作権法上問題視される可能性があるからである。そのため、私が操作したサーバ上の記録は、組織内で閲覧可能な状態にするようにしている。私は不信感を抱かれないように、悪い情報も含めて上司に相談したり私の行う業務を組織内で明らかにしてきた。
その傍ら、私の実父の闘病生活を通して、特定の医療機関に不信感を抱いた。その医療機関から悪い状況や危機的状況は患者の家族に対して事前に説明を受けておらず、ICUに入る危篤状態になってから、家族を呼び出す情報開示方法は説明義務違反と私は考える。私が医療機関に実父の死因に関する説明を求める前に、医療機関側から危篤状態になる前に、実父の患者はともかく医療行為の素人の家族にはどのような医療方針と選択肢があるのかないのかを伝えるべきであると考える。
その点、私はサーバ管理者の補助という立場からであるが、機器の管理は特殊な操作が必要なことが多いため、説明を要求されなければ説明しない、という思考に捉われやすくなるので注意していた。利用者に影響の出ることは、厳重に注意して行うように心がけているつもりだった。しかし医師や医療機関は独善的に治療方針を患者に押し付ける場面が多く存在することを知り、私が行ってきた業務経験を生かして、法律家として医療機関の横暴を改善できないか、と願うようになった。私が法律家になった場合、不法・不当な医療機関の処置による人権侵害の救済と治安の維持を図ると同時に、私と依頼人や被疑者との関係を不当と思われないように、私自身が独善に陥らないように注意する。
ある医療機関からの実父の処置についての不信感で、医師・医療機関に関する法規制が不可解で、私の見てきた世界に比べ医療の世界は生命・身体の安全という人権が保護されるだけでなく、逆に侵害される危険性が強いにもかかわらず、人権侵害救済の道が狭く、むしろ医療従事者の無法地帯に見え、私は精神的苦痛を受けたように思える。私の実父に限らず、私の祖父に対しても、医療機関の処置に関して私は不審に思い、死刑が廃止されようが、医師の判断で人殺しが可能な状態であるのが医療機関ではないか、と私は疑問に思え、法律家の公的資格を貴学の指導の下で取得し、問題のある医療行為に対して、世に訴え不正を正して人権侵害の救済の役に立ちたい。ダビデへのナタンによる叱責
キリスト教聖書第2サムエル記12章1〜4節
1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCp-T2ufqwHHMALFEsyU1_mA?view_as=subscriberTwitter
@HosannnaHA