Youtubeからの転載です(
https://www.youtube.com/watch?v=tmHmlqU_FKA)。
若いころのブラームスはユダヤ系ヴァイオリン奏者エドゥアルト・レメーニのピアノ伴奏者として
ドイツ各地で演奏旅行を行い、そのときにレメーニからジプシー(ロマ)の音楽を教えられたこと
がきっかけで、ロマの民俗音楽の旋律を編曲して有名な「ハンガリー舞曲集」を作ったことはよく
知られています。
ですが、このときブラームスがロマの音楽と判断して収集した楽譜の中には、実は当時のハンガリー
人が作曲したものが含まれていました。特に、作曲家・指揮者のケーレル・ベーラ(1820 - 1882)が
作曲したチャールダーシュ「バルトファイの記憶(bártfai emlék)」作品31は、その中間部の旋律が
ハンガリー舞曲の中で最も有名な第5番ト短調の主旋律として採用されています。これについては、
作品の中間部を挟む前半と後半の旋律がロマの旋律だったため、ブラームスが中間部の旋律も同様だ
と誤認したのではないかと推測されています。
なお、ケーレルはハンガリーやドイツ・オーストリアで数多くのチャールダーシュを作曲して人気を
博し、「バルトファイの記憶」もドイツ語名「バルトフェルトの記憶(Erinnerung an Bartfeld)」で
国外に紹介されましたが、その死後は忘れ去られた人物であり、皮肉にもブラームスの作品によって
近年再評価されるようになっています。