京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第四段
「菅原院天満宮神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その2。
主祭神:
・菅原道真
・菅原是善
・菅原清公
摂社/末社:
・梅王神社
ほかいくつか
菅原清公は、嵯峨天皇時代に天皇の側近となり、
唐の文化をきちんとしっかり伝えた事から、
親王(天皇の息子)の教育係(家庭教師)となったので、
内裏にほど近いこの地が与えられて住んでいました。
是善もここに住んで、同じく親王の教育係に。
道真もここで生まれたとの云われがあり、
産湯で使った井戸があります。
母親が産後の日立ちが悪かったようで、
吉祥院の祖母と乳母に預けられたと続きます。
室町時代では、
管領家の武衛(斯波)家の屋敷で、
越前(現在の福井県)
遠江(現在の静岡県西部)
尾張(現在の愛知県)
を治めていた一族。
応仁の乱では東西どっちにもつかず、中立だったようで、
その影響か、乱の被害が軽かったようです。
そのために足利義輝が京都に戻るにあたり、
住まいとして提供されて、
「二条城」ないし「二条御所」と呼ばれていました。
しかし、義輝が謀殺されると、
足利家の家臣「三淵藤英」・「細川藤孝」兄弟が、
義輝の実弟で、奈良の興福寺に出家していた覚慶をつれてきて、
還俗させました。
さらに織田信長が上洛により、将軍宣下が受けれた場所とのこと。
天神さまの三代でゆかりがある点から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、筆頭の第1番目となっております。