それでは三本目ですが、これは金沢が生んだ大作家である泉鏡花の黒猫という話です。たまたま古本屋に言ったら中古で水木しげるさんの泉鏡花伝があったので、前から気になっていたこともあり買って読んでみたのであります。これはとても分かりやすい漫画で泉鏡花の生涯と、その途中に実際の作品が二つ描かれていました。一つがこの前歌った高野聖で、もう一つの今回の歌の題材にもしたのが黒猫であります。黒猫は石川県から東京小石川で尾崎紅葉の門下生になり売れ始めていた鏡花が石川県の北國新聞社より連載されたものであり、もしかしたら背景は石川県の金沢市かもしれません、私はたまに、浅野川近くにある泉鏡花記念館に行くのですが、あの辺は金沢でも特に風流な場所で茶屋街の長屋も美しくとても涼を感じることが出来る場所です。近くには卯辰山という小高い山もありますし、私なんかはそこにある公営の駐車場に止めて車中泊合宿で歌をしたりもします。田舎でいいところですが確かに幽霊が出そうな場所でもあります。黒猫は死んでしまった富の市の魂が憑依したんではないか?そして飼っていた猫が化け猫になってしまったのではないかという話です。でも私はシンクロニシティと輪廻転生を感じ取りましたが。そういう見方ですと、黒猫の前世が富の市みたいな男で、富の市の前世が悪いことをした罪人だったのかもしれません、お小夜は前世でもよい人物で猫とか富の市みたいな人のあこがれだったのかもしれません、それでどうしたら転生したらその人に会えるだろうかと、、、そうなった成り行きに思いますが。シンクロニシティとはその前後で似たことが現れるということで、後で猫を避けることによって猫が富の市のようになるべくしてなったともいえます。霊界に強い鏡花だけに死後や生まれる先をも見越した作品だと思います。だから最後に気になる言葉があるんですよね、「悪魔の使者は殺されぬ。今ははや何物も秋山と、お小夜と二人が恋を防ぐものなかるべし。しかれども、然れども知らず、社会一般の者のなすがごとき衾をともにすなる結婚を彼等はなせしや、はた否や」と、これは結局富の市も、飼い猫も、そしてお島も何かしらの念を抱いて死んでしまったので、その供養をするとしたら普通に楽しい結婚は出来ないですよね、鏡花の母親も鏡花が子供の時に早くなくなりましたが、鏡花はそういう人の因果について考えるようになってしまったんでしょうね、、、悪いことがたくさんあると人は色んなことを考えるようになりますし、、、まぁそんなこんなで素晴らしい作品だと思いました。水木しげるさんの漫画も秀逸です。いったんもめんも出てくるよ