山口県光市小周防 この辺りは島田川と支流笠野川の合流するあたりで古代周防国造の在所だったといたと言われている。渓月院は山の麓にある禅宗寺院で周防東部第一とも言われたそうです。
周防五刹に数えられた。金剛派四道場の一つである。安芸国廿日市の洞雲寺の末寺にあたる。
当寺の開基は大庵須益(daian syu eki)禅師(金岡禅師の師で山口 瑠璃光寺開山和尚)〜開山は金岡用兼(きんこうようけん)禅師の法嗣 章山禅師。
洞雲寺=桜尾城主 厳島神主家藤原氏の創建した寺院で名僧 金岡用兼禅師(阿波の丈六寺も開山)の創建。
四道場=長門の功山寺、周防渓月院、阿波の丈六寺、安芸の洞雲寺
歴史は古く1444〜1448年ごろ創建され大内氏の庇護を受けその後は毛利氏により擁護された古刹。
堂宇は天正年間に焼失 毛利氏により再建されるも明治中期にや再び焼失し再建されたという。
往時の姿はないが赤瓦の本堂、山門のある静かな佇まいの禅寺。
本尊は釈迦如来。薬師如来も祀り 中国四十九薬師如来霊場になっている。のぼりがいっぱい。
歴史的なことで言えば 毛利元就が周防攻略線で 須々万沼城(沼城戦は周防攻略の激戦地)へ進発するときにはここを仮の陣所としたといいます。歴史に想いを馳せましょう。 2020.1