…ゼロワン42話 素で見ていましたが
まさか社長がイズを失って、怒りに身を任せてしまうとは。
しかしヒューマギア、人工知能や人々の善意を信じたいと思ったのは
イズが側に居たからこそ、で有り それを失う事で或人社長自身が
人工知能と人間である自分自身の悪意を認める事で「アークワン」になった。
僕は、そのシーンを見てクウガを思い出し、そこから番組を見ている様な物ですが、
五代さんは怪人で犠牲になる人々の怒りを認めつつも、人の心と自分の優しさを信じて
「究極の闇、アルティメット」に変身しました。それでも彼は、自分自身の怒りで
優しさを忘れたりせず、戦いで傷ついた自分を癒す為に、人々の笑顔を見る為の旅に出ます。
昨今の感染症による村八分や、対応による様々な意見から人々の生活や経済的な損失からの
誹謗中傷、怒り、そして差別から競争社会と、人間は絶えず争う事で文明や生活を進化してきた種であると言えると思います(個人的に)
しかし、そんな中でどうしても不満や苦しんでる人が生まれ、一部の豊かな人は苦しんでる人を
責めたり、もしく苦しんでる人は自分や他人の責任の所在や心無い言葉が飛び交う環境の中で
悪意の犯人探しを始める。
五代さんの様に優しさを忘れなければ大丈夫と言えるかもしれませんが、不安の中では誰かを又は自分さえを傷つけたい、考えを認めたくない、と(個人的な意見ですが)気持ちが強くなるかもしれません。そこで復讐や排斥主義、自己責任に焦がれれば互いに傷つけ始め、文明や兵器で滅ぼし始めるかもしれません。 ある程度の区別は必要かもしれませんが、少なくとも同じ場所に住む同じ種族同士では手を取って欲しいと願うばかりです。
悪意を見逃し、悪意に囚われて傷つけるようでは意味がない。 復讐や戦争映画ってアクションは格好良いんですけど、決して憧れたり正当化してはいけないと僕は心の中では思います