コロナ以前から、夏休みの終わりは八月三十一日ではなくなりつつありましたね。しかし、私たちにとって、夏休み最後の日と言えばやはりこの日をおいてほかにありません。
セミの声がどこか物悲しく胸に響き、蒸し暑い風にさえ、名残惜しさを覚えてしまいます。大人になった今では、夏休みという存在そのものがあいまいなものとなってしまいました。言ってしまえば、ただの休暇です。夏休みという名前を付けるほどの存在かは非常に怪しい。
しかも、休暇とは名ばかりで、田舎に帰れば盆や祭りの準備に駆り出され、都会に残れば結局自分で家事をしなければならない。子どもの頃のように、本当に何もしなくてよかった時間はもはや過ぎ去り、時間の使い方が大抵決められている。
子どもの頃は無限にもあると思えた自由な時間。それはその実、セミの一生のように儚いものだったということを、今となっては思います。ただ、あの頃に戻ったとして、あの時の様には楽しめないでしょう。休みに終わりがあることを知ってしまったから。
夏休みの終わるころ、この日だけは、毎年のように童心に帰ってしまう。夏の終わり、ものごとには必ず終わりが来るということを教えてくれたあの日。幼い子供に、時間の残酷さを知らしめたあの日は、強烈な思い出の一ページとして、一生ふり返ってしまうものなのでしょう。
製作:ほうとうネットワーク!
参加者
諸星一(
mylist/63984777)
ひろあり(
user/55509779)
後方注意(
user/5115467)
追記:美容室様、広告ありがとうございます。