昭和14年12月15日、豊川の地に5番目の海軍工廠として開廠した。大東亜戦争では航空機が戦闘の主役の一つとなり、航空機用機銃と対空機銃の生産を役付けられていた豊川海軍工廠は急速に発展していく。
1945年(昭和20年)8月7日、B-29爆撃機124機の爆撃を受け、30分間に500ポンド(250kg)爆弾3,256発(約800トン)が投下され工廠は壊滅、およそ2,500名が犠牲となった。ハルゼーが「キルジャップ!!キルジャップ!キルモアジャップ!! 」と命じた如く、豊川海軍工廠はもちろんの事、広島、長崎への原爆投下、都市への大規模空襲等、日本人であるならば兵士であれ民間人であれ無差別に殺戮しまくった事は明らかな事実であり、これは明らかなる国際法違反行為であった。しかし、その違反行為を正当化すべく、戦後、戦勝国らによる「東京裁判」なるハチャメチャな茶番が断行された。
非常に下劣極まりない蛮行である。
この史実を以て、日本人は、米国の残虐性を知らねばならぬし、その認識のもと国防意識を持たねばならぬ。日本人同志では到底想像だにできぬ残虐さを持つのが狩猟民族の民族性であり、そこに日本人の道理や道義など一切通用しない事は、大東亜戦争の史実によって証明されており、日本人はその歴史の真実を知り、史実に学ばねばならぬ。自虐史観に浸っている場合ではなく、事態は刻々と変わり続けている。気付けば、竹島は韓国に、尖閣も間もなく中国へという非常なる危機のもと、未だ、コロナしか眼中に無い、平和ボケに汚染されきったこの国の行末がどうなるのか、誠に嘆かわしい。先人達は、御英霊達が殉じられた未来の日本とは、かような愚民国家ではない。
大東亜戦争当時、野球が禁止された、英語が禁止された等等のデマがまことしやかに伝えられているが、実際に、豊川海軍工廠跡地で直視した史実は全く違うものであった。彼らはバレーボールを楽しみ、英語も堪能であった。海軍中尉であった私の父も、英語や野球の禁止については事実ではない、と断言していたので、間違いない。
この偏向された伝説は戦後、日本を貶めん為に工作員らが仕掛けた捏造である。
当時、マスメディア、特に「朝日新聞」が主となり、「一億玉砕」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」等のスローガンを叫び、民意を更なる戦意へと扇動していった事も知らねばならないが、この教訓が全く活かされず、それどころか知らされる事もなく、現在も尚、扇動にまんまと引っ掛かり、「コロナコロナ」で脳内は完全占拠され、国土防衛に微塵の関心も無いのが現代日本人の大多数である。
今、我々が命を繋がせて頂いているのは、自力によるもの等欠片も無く、全て、御英霊達の、先人達の、尊き御霊の上に成り立っている事を忘れてはならぬ。
神社本庁所属神主・楠公研究会代表理事・表千家茶道教授者・池坊教授・作家
楠公末裔の立場から先祖・楠木正成について著した拙著『建武中興と楠木正成の真実』はAmazonからもお求め頂けます→
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