平安時代になると宮中や貴族の間で密教(主に真言宗)の信仰が盛んになり、その影響は伊勢神宮にまで波及し、伊勢神宮では禰宜(内宮・外宮の祭祀の中心)や祭主(宮司)の大中臣氏ら神職たちがこぞって自ら氏族の菩提寺を創建し、仕事上では神宮で祭祀を行いながらもプライベートでは仏教信仰が中心で出家・得度する人たちが後を絶ちませんでした。
こうした背景の中、宮中および神宮では観音信仰が盛んになり、やがて天照大神=観音菩薩論が出現定着し、さらに神宮の仙宮院から大中臣氏による「中臣祓訓解」、つまり両部神道(真言神道)が誕生することとなります。