1901年(明治34年)
作詞 土井晩翠 作曲 滝廉太郎
中学校(旧制中学校)唱歌の懸賞の応募作品として
瀧廉太郎が作曲、原曲は無伴奏の歌曲であった。
日本における曲では、これまでの四七抜き音階の日本の旋律ではなく、
創めて西洋音楽の旋律を大衆に押し広げた歴史的な歌曲である。
1903年(明治36年)に瀧が没し、その後の1917年(大正6年)
山田耕筰はロ短調から短三度上のニ短調へに移調、
ピアノ・パートを補い、旋律にも改変を加えた。
山田版は全8小節からテンポを半分にしたのに伴い16小節に変更し、
一番の歌詞でいえば「花の宴」の「え」の音を、
原曲より半音下げて(シャープを削除して)いる。
現在では東京藝大派が#で、他が♮だという巷説も存在する。
荒城の月、今聴くと古式な歌詞が好い。
特に二番は上杉謙信の漢詩が
歌詞の根底にあると思われる。
上杉謙信(景虎)が石動山城で
勝利の確信から家郷を振り返り
武功を名月に詠んだ"九月十三夜陣中作"を
オマージュしたものであり
「霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
遮莫あれ家郷の遠征を憶う」を
反照したものだとの説が有力。
CeVIO大人数でさくっとアカペラコーラス。
3番のみ♯付きの旋律生かしてみたのは詞の雰囲気。
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