一般社団法人楠公研究者相談役で、『大和の里』理事でいらっしゃる中西様に、奈良市随一の観光地『平城宮跡』『奈良県庁屋上』『ならまち』『若草山』をご案内頂きました。
実は私、奈良県庁の屋上は初めてでした。屋上に登ると、興福寺や東大寺、若草山等名だたる名所が一望できる事を初めて知り、感激と驚きの思いでした。
続いて、古い町家の残る『ならまち』へ。ひと言に『ならまち』といっても、実はかなり広い範囲に及び、徒歩で廻るならば1日では到底足りません。今回は、中西様のお車でご案内頂いたお陰で、ほぼ全ての『ならまち』を観る事ができました。日が暮れてからは、『奈良奥山ドライブウェイ』から若草山山頂へお連れ頂き、まるで宝石箱のように美しい夜景を堪能、余りの美しさに心が洗われる思いでした。
更に感動だったのは、若草山山頂が古墳であり御陵であった事。山頂に築かれた広大な前方後円墳『鶯陵』の被葬者は、仁徳天皇皇后として民間初の皇后として葛城氏から皇室へ入内された磐之媛命。彼女の御陵は一般的には、『ヒシアゲ古墳』に比定されていますが、実は古来から磐之媛命御陵と伝えられてきたのは、こちらの若草山山頂の『鶯陵(鶯塚古墳)』の方。
前方には、饒速日命が降臨した生駒山と春日大神の巡幸ルートたる『中津道』、左方には三輪山、吉野、そして磐之媛命の出身地である葛城山、右方には、奈良に比べればまだまだ新しい都である京都、更に後醍醐天皇が初めて挙兵をされ皇居を置かれた笠置をも見渡せます。天下を全て見下ろすべきこの地に鎮まられた磐之媛命は、なんと凄い女性だったのだろうと、若草山山頂にて、改めて彼女の偉大さに思いを馳せました。民間初の皇后として皇室に入内されたものの、間もなく離縁、再び、民間に降られた磐之媛命は、どのような思いで、離縁後の日々を送られたのでしょう。
一方で、仁徳天皇様の方もまた、離縁後であっても尚、名門・葛城氏の息女である磐之媛命に敬意を評したからこそ、大和国最大最強の聖地たる若草山山頂に彼女を葬る事を許されたのでしょう。初めて登拝させて頂いた若草山山頂に立った時、山頂部から何とも言えぬ畏怖の念を抱く大きな力が湧き上がってきているのを強く感じました。奈良を知っているようでまだまだ私の知らぬ素敵な奈良の魅力が沢山ある事を知りました。
それらをも発信していけるよう、これからも歴史顕彰に努めて参ります。
いつも温かいお心遣いを賜ります中西様に篤く御礼申し上げます。
奈良市内観光地巡りの模様は以下のチャンネルでご紹介しておりますので、是非ご覧下さい↓
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楠公末裔の立場から先祖・楠木正成について著した拙著『建武中興と楠木正成の真実』はAmazonからもお求め頂けます→
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