八十八(やそや)です。
もし足利尊氏がこの合戦に負けて討死でもしていたなら、後世に英雄と呼ばれることはなかったでしょう。竹之下や多々良ヶ浜、湊川合戦なども足利直義や高師直の功績になっていた可能性すらあります。足利尊氏の人生にとってそれほどまでに重大な意味を持つ戦い。武蔵野合戦について解説します。
なお、このシリーズは斯波高経の生涯(以下略)
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
観応の擾乱① 初めての御所巻
sm37976740観応の擾乱② ほんとうは悪くない? 高師直
sm38023882前:観応の擾乱③ 足利直義の最期
sm38023882次:佐々木導誉の北朝再興!
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(補記)
動画中の皇統図、便宜上崇光天皇の下に直仁親王を置いていますが、正確には光厳天皇の猶子であり、崇光天皇の義理の弟にあたります。この辺りきちんと解説できてなくて申し訳ありません。事情は結構複雑です。
元弘の乱時に近江に逃亡した五辻宮を後醍醐天皇の第五皇子と言ってましたが、亀山天皇の第五皇子の間違いでした。訂正します。
詳細は以下参照
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