皆様お久しぶりです。
色々ありまして復帰までまだお時間を頂きたいと思います。申し訳ございません。
令和3年2月14日参拝
2月14日は
平将門公が藤原秀郷公討
たれた日であります。
茨城県坂東市に鎮座されます
国王神社様へ参拝して参りました。
茅葺き屋根造りの一般の家庭に遊びに来たような気分になれる神社様です。
只今はコロナウィルスの流行により、
御朱印や、お守りの販売等はされていないそうです。
私も感染対策実施の上、
参拝させて頂きました
後に解説も含め再UP致します。
由緒
國王神社は、平将門公・終焉の地に静かに佇む古社です。
将門公の三女・如蔵尼が、父の最期の地に庵を建てたのが國王神社の創建であり、
父の三十三回忌に当たって刻んだ
「寄木造 平将門木像」
(茨城県指定文化財)を御神体に戴いております。
創建と歴史
天慶三年(940)二月十四日、
新皇として下総国猿島郡石井郷
(現在の茨城県坂東市岩井)に営所を構えた平将門軍と、
朝廷による将門討伐の命を帯びた
藤原秀郷・平貞盛連合軍が、
この地で最終決戦を迎えました。
将門公の四百騎は、三千騎の敵軍に対して追い風を得て、当初敵を圧倒します。
しかし、にわかに風向きが逆転して劣勢に立たされた将門は、陣を敷いた北山へと退く途中で、流れ矢に当たって戦死したといいます。
地元の言い伝えによれば、首を取られた将門公の身体は馬に乗せられ、のちに國王神社となるこの場所(石井営所近辺)に辿り着いたのでした。
月日は流れ、将門公の最期から三十二年が過ぎたあるとき、一人の尼僧が石井郷を訪ねてきました。
奥州・慧日寺に逃れていた、将門公の三女・如蔵尼です。
奥州で隠遁生活を送っていた如蔵尼は、
ある日悪夢を得て急いで下総に帰郷し、
村人に父の最期の地を尋ねました。
熾烈な残党狩りの記憶があった村人たちでしたが、尼僧が将門公の縁者だと分かると、将門公が辿り着いた最期の地・
現在の國王神社の場所に案内したのでした。
如蔵尼は、この場所で傍らの林の中より
怪木を見つけ、一刀三礼しつつ心厳かに父の霊像を刻んだといいます。
そして春、父の三十三回忌にあたる二月十四日には祠を建て、「國王大明神」の神号を奉りました。
天下泰平、国家安全を祈願して傅いたこの祠こそ、現在の國王神社であり、以来千年の永きに亘って深い信仰を集めています。
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