Youtubeからの転載です(
https://www.youtube.com/watch?v=_NPDwacpHe8)。
1825年、ベートーヴェンはロシアのニコラス・ガリツィン公爵から弦楽四重奏曲の作曲依頼を
受けました。ベートーヴェンは1810年に第11番「セリオーソ」を作曲してからは弦楽四重奏曲
というジャンルから遠ざかっていましたが、この依頼を受けて約14年ぶりに新作の作曲に取り
掛かります。そして彼はいわゆる「ラズモフスキー弦楽四重奏曲」3部作と同様に3曲セットで
作品を書き上げ、ガリツィン公爵に献呈しました。この「ガリツィン・セット」3曲のうち、最
も大規模な作品が第13番 変ロ長調 作品130で、全6楽章で演奏時間が50分弱という長大な構成
に加え、終楽章の「大フーガ」は単独で曲全体の半分近い演奏時間を要する大曲であり、ベー
トーヴェンの弦楽四重奏曲の集大成と言うべき作品となりました。
ただし、作品中の大フーガは演奏技術が至難で、1826年に初演を担当したシュパンツィヒ四重
奏団はリハーサルの時点で終楽章の演奏に手こずり、初演の1週間前にベートーヴェンが自ら監
督・指導を行いました。そして初演の際には第2楽章と第4楽章が観客に好評でアンコールを求
められたものの、ベートーヴェンが最も力を入れて作曲した大フーガはアンコールを求められ
なかったため、彼は「どうしてフーガじゃないんだ!」と怒り狂い、聞くに堪えない罵詈雑言
を浴びせたと伝えられています。しかし「大フーガが終楽章として長大すぎる」という批判は
観客・好事家・楽譜出版社(作曲者以外のほぼ全ての関係者)から寄せられたため、ベートー
ヴェンは渋々終楽章を書き直しました。
この差し替え版は広く普及し、現在ではこちらの演奏が主流となっていますが、その一方で初
演当時は酷評された大フーガも時代が経つとともに再評価されていき、「作曲者が本来意図し
た楽曲構成に従う」という理由で初演と同じく終楽章を大フーガとした演奏も行われるように
なっています。
ツェムリンスキー弦楽四重奏団