旧 金剛院鎮守社 「荒胡子神社」の佇まい。初夏の風景。
厳島神社は江戸時代まで神宮寺「大聖院」、造営修繕を司る「大願寺」をもとなう神仏習合の厳島明神だった。大願寺は神社のすぐそばにあり御本社と一体となり大伽藍を形成していたらしいです。
塔の岡の下あたりに真言宗の金剛院がかつてあり大願寺の子院であったそうです。五重塔も金剛院の塔だったとか。金剛院=仁寿二年(854年)建立で相当古い寺院だったそうです。
朱塗の神殿は15世紀室町期の嘉吉元年(1441年)建立。棟札には島田三郎左衛門尉宗氏が造立したと記載される同院の鎮守である〜この年は7月に足利義教謀殺の嘉吉の乱が起こった〜
明治の神仏分離政策で分離され、鎮守社は厳島神社へ属すこととなる。社殿の詳細は、広島県の文化財サイトによった。
隣が厳島神社の修繕工事などの作業場、資材置き場のようになっていた。
またその先には御文庫の蔵が立つ。
御文庫は光明院の僧が発願し建立、蔵書とともに厳島本社へ奉納されたと伝わる。蔵は景教の建築様式であると厳島神社の公式サイトの記述には記載されていた。
余談〜金剛院は佐伯区の石内へ移ったらしいです。現在もそちらに現存しています。新広島四国八十八ヶ所の遍路の札所になっているらしい。