夜更けの寮内は静まり返っていた。
消灯時間を過ぎた廊下を照らすのは、窓越しの月明りだけ。
しかし、ロマンチックな光景に見とれてはいられない。
食堂に続くドアから漏れる人工的な明かりが、メジロドーベルの刑事魂を目覚めさす。
この時間に明かりがついているということは――。
ドーベルはそっとドアに手を当て、中を覗き見た。己の勘が外れていることを祈りながら。
しかしそんな淡い願いは、眼前の光景にかき消されることになる。
美しい葦毛のウマ娘が一人、こちらに背を向けてしゃがみこみ、食堂の冷蔵庫から何かを貪っている。
「……マックイーン」
マックイーンと呼ばれたウマ娘はビクリと背を伸ばしたのち、耳だけをこちらに向けてきた。
「……あら、どうしましたのドーベル。こんな夜更けに栗東寮で」
平静を装う声色は不規則に震えている。
「マックイーン。マックイーンはメジロ家の……ううん、学園を代表するウマ娘の一人といってもいい。そのあなたが、どうしてこんなことを……」
「な、なんのことですの?」
「強がりなら、その指についた生クリームをぬぐってからにしてほしいな」
「っ!」
マックイーンは慌てて両手を引っ込める。両手にたっぷりついていた生クリームは、今日の昼間にヒシアケボノさんが作ったケーキのものだろう。
マックイーンの甘党は今に始まったことではない。しかし、レースを前にして欲望に溺れる姿は見過ごせなかった。
私はすうっと息を吸い込み、言葉を続ける。
「あなたは強い。たとえ夜中にケーキを食べたって、明日のトレーニングで消化出来てしまうかもしれない。でも、カロリーが消えればそれでいいの?マックイーンの良心は痛まないの?」
マックイーンはしゃがみこんだままこちらを向こうとしない。両耳だけが悲しく垂れていた。
「私も鬼じゃない。告げ口するつもりもない。だけどあなたが少しでも良心の呵責を感じているのなら――」
しおれていたマックイーンの両耳が、続きを促すように立ち上がる。
「明日の朝9時、生徒会室に行って。会長の新作ダジャレお披露目会で、全てのギャグを褒めきってみせて。それがせめてもの禊よ」
「そんなっ……!」
マックイーンが初めてこちらを振り返った。懇願するような目をしながら口の周りに生クリームをたっぷり付けたその姿は正視に堪えなかった。
もう、何も言うまい。私はマックイーンが再び口を開く前に食堂を後にした。彼女の良心を信じて。
翌日のランチタイム。食堂に現れたエアグルーヴ先輩の顔がひどくやつれていた。
「マックイーン……頑張ってね」
小声でひとりごちて、空を見上げる。今日も絶好のレース日和だ。