臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。
厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡水晶ケ城跡。麓あたりは古代山陽道。
県道290号線旧道側にある。
境内は杉、イヌマキ、エノキなどの大木が多く鎮守の森は緑がいっぱいです。
境内に蜜蜂さんが飛んでました。
久々に参拝記録映像として。四季折々良い。
歴史的には、源平の頃 源範頼軍がかげともの道をとおり平家追討した時、この城にて佐々木国正が、平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり 麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
歴史的なことは地元石内公民館のHPにあった記事を参照しています。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。