2021/07/16, Fri
一流冒険者であるトトリのお母さん、ギゼラのお墓イベントとその顛末について。
事後の村長ピルカとの会話において、錬金術と出会い、冒険者の道を歩んだトトリの成長物語の一端を垣間見ることができる。
「母を探す」ことが本来の目的であったのにもかかわらず、トトリ本人はそれをすっかり忘れているようであり、アトリエシリーズにおいて一貫していたテーマを、それとないシーンでさりげなく明示したシナリオライターの腕前は天下一品の評価に値する。
ギゼラも幼少~少女期はこのトトリような性格の人物であったのかもしれない。
父であるグイードから、結婚以後のギゼラのエピソードを間接的に聞くことはできるが、それ以前に関しては公式にも情報がなく、不明である。
さもすれば、良い意味での「親の十七子は知らぬ」であることは容易には否定できない。
一つ個人的な仮説を立てるならば、よく話題に挙がるトトリの「ちむネーミングセンス問題」が特に印象的である。
これは、トトリの姉の名前がツェツィーリアであり、トトリ本人の名前もトトゥーリアという、共に音読しづらい本名であることを、ゲーム開始直後に自ら揶揄する描写があり、それを踏まえると上記の「ちむネーミングセンス問題」もその出自を辿れば、まさに母親譲りの悪い?遺伝子を受け継いでおり、「この親にしてこの子あり」であると言えうるだろう。
なお、メルルのアトリエでは、パッシブスキルとして「一流冒険者の血筋」を引き継いでいる。
何はともあれ、この作品の物語の冒頭で語られる「母を探す」という「原点」が、彼女の成長とともに忘れられ、(母ギゼラと同じく)一流冒険者として強く生きていた。
一転してトゥルーエンドで、トトリ自身ですらすっかり忘れていた「母を探す」という、彼女が最初に心の底から抱いていた「原点」を、思いがけずに達成する瞬間を見ることができるのです。
これが「原点回帰」の原理といえるでしょう。
つまり「直線は最短」ではないということです。
また、偶然と必然の本質には、実は何も違いがないということを示唆している場面でもありました。
そして同様の如く、大いなる「全能の力」にとっては、人の人生には特に意味など存在しないということも。