この映画は、1987年出版のRichard Ellmann著の伝記(Oscar Wilde, 1987)を元に作られています。
Richard Ellmannの本については、不正確なところが沢山あったことが今はわかっており、その後多くのオスカーとボジー検証本が出ているので、興味のある方は漁ってみることをお勧めします。
Bosie, Douglas Murray, 2000
Oscar and Bosie, Trevor Fischer, 2002
Oscar's Ghost: The Battle for Oscar Wilde's Legacy, Laura Lee, 2017
ボジーの名誉回復のために、事実は以下の通り:
ーEllmannによるオスカー伝記のボジー譚の殆どは、「獄中記」から取られているが、獄中記を書いたころのオスカーは、とにかく誰かを責めたい心境だったので、ちょっとアンフェア。
ー「獄中記」は「君からの手紙を待っても来ないけど」で始まるけど、それは刑務所が1か月に1通しか手紙を受け取れない決まりで、奥さんからの手紙を優先せざるを得なかったから。ボジーはこの頃手紙を書きまくっていたが、オスカーは知らず、そのせいで、「ボジーに見捨てられた」感が強まった。
ー遊郭通いは、オスカーはボジーに紹介される前からしていた。
ーオスカーもボジーも、無駄遣いキングだった。どっちもどっちのバカップルだったw
ーEllmannによると、ボジー父が本当にやっつけたい人物はボジーであるという解釈だが、その後の手紙、日誌等々の検証により、ボジー父は本気で「息子を救いたい」と信じていたことが判明。やっつけたいのはオスカーだった。
ーボジーはギリギリまでロンドンにいて、オスカーの留置所に毎日通い、オスカーを金銭的に支援した。
ー亡命先でも、ボジーは新聞に記事を寄せたり、女王にオスカー救済を嘆願したり、積極的にオスカーを救おうとした。
ーナポリでは、二人が一緒にいることがばれ、オスカー側の奥さん(この頃まだ生きていた)からの仕送り(3ポンド)と、ボジー側のボジー母からの仕送り(6ポンド)が止められ、生活できなくなり別れたが、その後パリで何回も会った。
ーボジーはオスカーが死ぬまで経済的にオスカーを支援し続けた。