正式名称:ラジオ・テレビ・アフガニスタン
1976年の共産主義政権時代、テレビ放送施設とスタジオが日本からの助成金を受けて建設された。テレビ放送は1978年8月19日に始まった。
1992年の共産主義政権の崩壊後もラッバニ政権下で放送が続けられた。
1996年にタリバン政権が誕生するとテレビは「悪魔の箱」と批判されて放送中止になった。ラジオは「シャリーアの声」として存続し、ミュージックはハラームであるためナシード(タラナ)に置き換えられた。
2001年、十字軍の侵攻でタリバン政権は崩壊し、テレビ放送が再開された。ラジオもミュージックの放送を再開した。
2021年、十字軍の撤退でタリバン政権が復活したが、テレビは中止されなかった。現時点でミュージック(BGM程度)は許されているようだ。
テレビが認められるようになったのは、タリバン自身が2000年代後半頃からAl-EmaraやAl-Hijra、Manba al Jihad等のメディアを作り上げ、ジハードを題材にした映像作品を公開して人々に対する影響力を維持してきたといった事が理由か。