この動画を視聴するためには、
プレミアム会員登録が必要です。
プレミアム会員登録
プレミアム会員登録
購入ページ
00:00
00:00
広告 : (
)
この広告は
5
秒後にスキップできます
5
秒後にスキップできます
広告をスキップ
スキップする
プレミアム会員になると動画広告や動画・番組紹介を非表示にできます
803
本作品は権利者から公式に許諾を受けており、
広告の収益は権利者に還元されます。
(※プレミアム会員にも表示されます)
この動画は非公開に設定されています
ゆっくり解説シリーズ
【1954年】1155人が船と共に海の底へ...台風の中船長はなぜ出航を決定したのか?「洞爺丸沈没事故」【ゆっくり解説】
︙
2021/11/1
2021/11/1 20:00
投稿
1.3万
13,030
803
803
27
27
ギフト
「いいね!」で動画を応援しよう!
いいね!
ランキング最高順位:
-
詳細
#ゆっくりするところ #洞爺丸 #海難事故
今回紹介するのは、以前から多数のリクエストを頂いておりました「青函連絡船洞爺丸沈没」です。
1954年当時、本州と北海道を結ぶ主要交通手段は、この青函連絡船しかありませんでした。
そのため、この洞爺丸も非常に重要な船の一つであり、大東亜戦争直後に大急ぎで建造された連絡船の一つでした。
この日、台風15号が九州から日本に上陸しており、勢力を増して北上していきました。
気象台の予報では、15時過ぎには津軽海峡付近を直撃するという情報がはいっており、昼頃には天候が荒れてきていたため、洞爺丸は函館青森間の往復を一時中止し、停泊していました。
しかし、この時の函館には、「台風の目」が通過したと思われる、穏やかな天気が差し掛かったため、洞爺丸船長も「これならばもうすぐ台風も晴れるだろう。」と考えました。
彼は非常に気象に詳しく、仲間内から「天気図」というあだ名で呼ばれるほどの方だったそうです。
そのため、船長は気象台からの情報、実際の天気、そして身近らの経験から、出航を決意。
洞爺丸は海に乗り出していきますが、その直後海は大荒れ。
洞爺丸は、「仮泊法」という、錨を下ろして微速前進するという手法をとりますが...
引用:出展:参考文献
Wikipedia
ishort.ink/CuJN
岩波書店「洞爺丸転覆の謎」
朝日文庫「青函連絡船ものがたり」
国土交通省
海難審判所
ishort.ink/Eyv6
※この動画は過去の事件を知り、現在でも同じことが発生する危険性を再認識、関与しないように促すための動画であり、視聴者を扇動、動揺を誘うためのコンテンツではありません。
ご要望にお応えして、メンバーシップの開設を行いました。
下記URLからも登録可能ですので、ご興味がある方は是非ご参加ください。
https://www.youtube.com/channel/UCcT5a1J7XJW7CLYI2RKl4pw/join
Twitter
→
https://twitter.com/yukkurisurutoko
取り急ぎ、簡易的にですがマイリストを作りました。
【ゆっくり解説】事故・事件関係紹介リスト
https://www.nicovideo.jp/mylist/71034319
【ゆっくり解説】放射線系事故
https://www.nicovideo.jp/mylist/71034368
【ゆっくり解説】鉄道系事故・事件関連
https://www.nicovideo.jp/mylist/71034379
シリーズ
前の動画はありません
次の動画はありません
もっと見る
ゆっくりするところ
フォローする
フォロー中
登録する
あとで見る
マイリスト
ニコニ広告
共有
アプリで視聴
解説・講座
ゆっくりするところ
海難事故
北海道
洞爺丸
青森県
津軽海峡
ゆっくり解説
国鉄戦後五大事故
洞爺丸事故
洞爺丸台風
試されすぎた大地、北海道
タグ編集
タグを調べる