吉川氏の子女の養育用の建物として使われた大明関係遺構。ほぼ弘化年間の再建時のまま残る。
非公開。
吉香公園の観光コースからやや外れた住宅街 お堀の端から(吉香神社の真裏)城山の麓の住宅街に入りにある。
2階建ての入母屋作りの建物で1階は主室6畳(濡縁や床の間)と階段、敷台、諸室。2階は数寄屋風風な感じらしく4室あるそうです。花鳥風画が襖に描かれていたりするらしい。
この道をさらに進むと疱瘡よけの鷺神社などがあり最後は 錦帯橋いざない街道へ合流する(錦帯橋前から続く錦川沿いの道路)
ちなみに吉川氏は広家の時代から諸侯待遇は受けていた参勤交代もされていたようですが、あくまで毛利家内の万石の知行とりの家臣の家格であった。関ヶ原敗戦の問題もありこれで色々軋轢があったらしい。
幕末に活躍した吉川経幹公の時に初めて正式な諸侯(大名格となった)
間違ってあげたばかりのやつを削除してしまった^^; 修正完了。内容は修正前と字幕以外は同じ。
疲れてると色々見落とします。昨日寝てないからw。