♪島原の子守歌♪
作詞・作曲:宮崎康平(一章)
原曲・元歌 山梨民謡『甲州縁故節(えぐえぐ節)
昭和25年(1950)ごろに作られた新民謡です。
作者は『まぼろしの邪馬台国』の著者・宮崎康平。
宮崎康平は大正6年(1917)、長崎県南高来郡杉谷村(現・島原市)に生まれました。
康平はペンネームで、本名は別にあります。最初の戸籍名は懋(つとむ)でしたが、
のちに失明した際、自署が困難、活字がないなどの理由で一章と改名しました。
早稲田大学文学部を卒業後、東宝の脚本部に入社しましたが、
まもなく帰郷して家業の土建業を継ぎました。
昭和22年(1947)には、乞われて島原鉄道の常務取締役に就任します。
当時の島原鉄道はオンボロ鉄道で、
並行して走るバスに次々と客を奪われていました。
昭和24年(1949)、天皇が長崎巡幸の途次、島原半島を訪問する旨が伝えられました。
当初は諫早(いさはや)でバスに乗り換える予定でしたが、
康平が猛烈に運動した結果、お召し列車をそのまま島原鉄道に乗り入れることになりました。
ただし、その条件として路盤を強化し、レールを丈夫で安全なものに
取り替えることが求められました。
康平の陣頭指揮のもと、昼夜兼行の工事が始まりました。
康平は学生時代から眼底網膜炎を患っていましたが、
このときの過労がたたって、翌年、ついに失明してしまいます。
のちに康平は、「妻に見捨てられた我が子を抱いて、失明の苦悩にじっと耐えながら、
オロロン、オロロンと土地の年寄り衆が歌っていたあやし言葉を入れて歌っているうちに
なんとなくできた」のが『島原の子守唄』だと述懐しています。
その後康平は非常勤取締役に退き、再婚した和子夫人とともに、
邪馬台国について九州全域から朝鮮半島まで調査して回ります。
その結果をまとめたのが、昭和42年(1967)に
講談社から発売された名著『まぼろしの邪馬台国』なのです。
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