防府市富海 旧山陽道の宿場町。海ぞのの街でJR富海駅から少し降ると旧道として旧山陽道が通り生活道として残る。歩きやすい道ですね。
漁業が盛んな街で、海水浴場がすぐそばにあり海の景色が良い。富海駅から海水浴場の砂浜が住宅を抜けたらすぐそこです。
〜1:49駅から〜旧山陽道へ
1;50〜富海漁港あたり〜猫ちゃん。
4:08〜旧郷社 国津姫姫神社(港にある)一の鳥居
5:05〜旧山陽道街並みと本陣跡の門
6:26〜大和屋政助の船倉を街道から遠望
6:59〜駅へ戻り、富海海水浴場 海岸の風景・・終わり
歴史=戦国時代 毛利が防長を支配下に納めた後、大友宗麟に促され山口を占領した大内輝弘の乱があり、この街道の橘坂の少し先、茶臼山あたりが最後の戦場となって大内氏が完全に滅んだ場所です。この日は山越えの足拵えもないし富海の国津姫神社や防府天満宮へ行く予定なので橘坂を降りたあと街を歩いて散策だけしてきた。
富海の港や神社、本陣跡を少しみて電車へ駆け込みました^^
幕末追われた高杉晋作を逃した海運業者さん「尊攘義民大和屋政助」(墓碑銘:品川弥二郎筆)の大和屋の舟倉跡を近くで見損ねましたが、街道から遠望だけ。
駅近くの山陽道沿いに古い墓地がありその方のお墓がありました。もし行かれた方は注意してみてくださいね。
漁港の防潮堤沿いに行きますと踏切で線路を渡る、そこには昭和19年鉄道事故殉職した職員さんの今井中西両君殉難碑の石碑が建っています。越えて少し進むと神社の国津姫神社の鳥居が港に建っている。
飛船=漁船を元にしたような小型の足の速い船で人や物の輸送業をしていたらしいです。高杉が佐幕派に追われた時船に乗せて馬関(下関)へ逃して助けた方らしいですね。幕末の志士もよく利用したようです。
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め
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