それまで北方の一部族に過ぎなかったカロリングが何故ヨーロッパの盟主になれたのか?この問題にベルギーの歴史家、アンリ・ピレンヌが与えた回答は「イスラムの台頭」だった。
そしてこれこそが中世ヨーロッパを形作る原因となったのだ―――
どうもみなさん、古代末期も終わったところで本編 (
sm39840220) の補足動画の登場です。
古代から中世の転換は476年の西ローマ滅亡をもって完了とするのが世界史の通俗的理解である。
しかしその後も地中海に活発な商業活動があったとしたなら、この断絶を説明付けるのに最も適切な時期とはいったい何処になるだろうか?
476年以降も地中海には活発な商業があったという話は本当なのか?
地中海世界にイスラムが与えた衝撃はどのようなものだったのか?
そもそも古代と中世に断絶は存在するのか?
今回は「ピレンヌ・テーゼ」と呼ばれる古代と中世の断絶論の妥当性を検証しつつ
イスラム登場後の地中海世界の実態について、ゆかりさんが迫ります。
【結月ゆかりの洋書解説】共和制ローマの政治:
mylist/63982305(完結済み)
【キリスト教解説】音街ウナの Unam Sanctam:
mylist/70294288このシリーズ:
mylist/68397314sm38000839←前 次→ なんかまた古代ローマやりたいね