"前回までのあらすじ"事件はミス・ダマーズの手で解決した。これから警察に行って、それからお祝いだ。
だが、おめでたいムードに水を差す男がいた。
アンブローズ・チタウィックは何かが気に入らないようだ。
自分の推理を話したがっている。
仕方ない。少しの間だけ聞いてやるか。
会員たちはスマホを片手に、観客席に座りなおした。
そして、警察署に誰かがやってくる…。
犯罪研究会の推理勝負、これにて完結!
毒入りチョコレート事件のシリーズ
series/328749今までに作ったもの
mylist/73029299sm40582108 予告編
sm40582382 第一話 書簡用紙と三角関係
sm40582518 第二話 ニトロベンゼンと十二の条件
sm40582664 第三話 賭けとウェブスター印刷
sm40582742 第四話 フェローズホテル。それから事件解決。
sm40582896 第五話(最終話) 多重解決。それからサウサンプトン通りの街灯に照らされて。
<編集後記6>
自分は、推理小説は現実とは何の関係もないものと思っていましたが、この小説を読み返していて、そうとも言い切れないと考えました。原作のセリフで、「何を話し、何を言い残すかを心得ていさえすれば、どんなことでも好きなように、しかも充分に説得力を持って、論証できるものですよ。」というのがありますが、現実でこれがそのまま起きていると実感しました。少し個人的な話に脱線しますが、「FACTFULLNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」という本で、いかに自分の思い込みが根深いかを思い知らされました。例えば、アフリカは今も昔も貧しいと思い込んでいたことなどです。アフリカの状況はだんだん改善されているのですが、世間では悪いニュースばかりが注目されるため、ほとんど語られず、人々のものの見方に影響を与えています。また、更に話が変わりますが、毒入りチョコレート事件は、大げさかもしれませんが、人類の思考の歴史の縮図という気がしてなりません。一つの思想や事実やアイデアが提出され、それが否定され、次が現れる。それもまた否定されて、また次が現れる。哲学でも科学でも芸術でも政治でも、こういったことが起きていると感じました。これがいわゆる弁証法ではないかと思います。それから、原作のラストに続けてオリジナルの演出を加えてみましたが、後になってから、この世には議論なしに事実に直面する人がいて(仏陀の悟りなど)、それを象徴しているように見えました。