5月の夕方ごろに3度目の参拝(コロナ以来久しぶり)
吉川氏の武将 二宮佐渡守俊実(としざね)により慶長二年1547年建立の寺院。
二宮佐渡守俊実(としざね)
吉川氏家中の勇将で、厳島合戦に置いても吉川勢の主力として勇戦した。
厳島では小早川隆景の危急を救い、陶氏の重臣を討ち取るなど武勲を挙げた。
また陶晴賢の捜索にて首級を見つけ出したのも二宮俊実である。
*境内奥の林間の墓地には二宮佐渡守の墓碑と並んで陶晴賢供養塔がある
また毛利の石見攻略時の本城常光攻めなどでも活躍した
その後無常感を深く感じ、仏教に帰依していったという。
庭園は安政6年(1859年)頃の今北洪川(いまきたこうせん)著「松濤軒記」〜
江戸時代の天保15年(1844年)以前に当時住職の中谷月渓 和尚が作庭したとものと記載され作庭者や作庭時期が記録して残る庭園は資料としても価値がある。(日本庭園学会誌1966巻4号抄録記事参照)
1平庭の枯山水(蘇鉄、苔に石組の庭になっている)
2池泉庭園
斜面を利用した?築山の石組が滝のように配され橋がかかる。
水流があるようで石組下に小さな池を作っている。庭には大きな宝篋印塔がありますね。
今度石組なお参詣時には詳しくみてみたい。樹木などの植栽は多い感じです。
築山上には観音堂があります(地蔵尊も確かあった)
注)今北洪川(いまきたこうせん)元儒者で25歳で相国寺で出家した臨済僧。幕末〜明治期の代表的な禅僧と言われる。安政5年〜明治初め頃まで岩國の永興寺に住したらしい。明治後東京 麟祥院へ移る。さらに鎌倉円覚寺管長となる。雲水、在家にも禅を指導したという。wiki参照。
麓の火力発電所は2020年廃止されたようですね。
*広告恐れ入ります^^;人
今回は祖生新宮神社、長宝寺の帰り夕方近くだったので 疲れててささらっとしかみていませんがまた
機会があればゆっくり拝見したいです。
追加版予定。
追加情報7/2
本日スズメバチを見たのだが本堂と接続する茶室?の柱あたりに消えた隙間から内部へ?
巣がある可能性もあるかな?冬までは注意だね。多分もう寒くなるまでは行かない。