長州男児の肝っ玉!これよりお見せしよう!!おもしろき こともなき世を おもしろく長州藩士:
高杉春風。通称:
高杉晋作。
高杉氏は毛利家の名門であり、高杉晋作は名門出かつ嫡男の身分である。
武士の中でもエリートと言える身分であるため幼い頃から英才教育を受け、剣術は
柳生新陰流を学び免許皆伝に至った腕前を持つ。
松下村塾では
吉田松陰に師事して、尊皇攘夷に傾倒。米仏との間で
下関戦争が起こると志願兵を募り
奇兵隊を組織した。
八月十八日の政変、禁門の変、第一次長州征討を経て苦しい立場となった長州藩では保守派(幕府に従おう派)が台頭したが
自らの尊皇攘夷派を
「正義派」と自称して、保守派の面々を排除。
長州藩の実権を得るに至った。
第二次長州征討では
幕府軍兵力10万超に対して長州藩は兵力5000前後の圧倒的兵力差でありながら幕府軍を撃退。この戦にて決定的な権威失墜を巻き起こした幕府は大政奉還の実行を已む無しとされる。
晋作はこの大政奉還を悲願の一つとしていたが、大政奉還を見る前に肺結核の悪化により
27歳の若さで病死。驚くべきことに、長州藩を引っ張った風雲児のこれらの逸話は、20前半~半ばの若者の話なのである。
ちなみに、CVもあいまって開戦台詞での
一人称「僕」はかなりの違和感があるが
これは師の吉田松陰が一人称を「僕」、二人称を「君」と言い始めた最初の人物であるという説があり、
師の特徴的な言葉使いについて松下村塾生が強い憧れを抱いていたことを反映したものである。
長兄の英傑大戦:
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