Youtubeから転載しました。
今回は築城三名人 藤堂高虎が築城した赤木城です。
赤木城最大の特徴は中世山城と近世城郭の要素があることです。
尾根を利用して築かれた郭は、中世山城の特徴である一方、石垣は高く積まれ、侵攻する敵に対して側面から攻撃できる横矢掛りや敵の侵入を防ぐ虎口など近世城郭の特徴が見られます。
~赤木城の歴史~
まず築城以前の1585年(天正13年)に豊臣秀吉が紀州に侵攻にして支配下になりました。
しかし翌年、(天正14年)1586年に奥熊野の地侍たちが蜂起した天正の北山一揆が発生します。
豊臣秀長が一揆を鎮圧し、一揆に加担したものは、赤木城近くにある田平子峠にて処刑されたといわれています。
このようにこの地では新領主への反発がありました。
そのため、一揆対策として豊臣秀長の家臣だった藤堂高虎が、赤木城を築城することになります。
しかし、赤木城築城から約25年後、再び一揆が発生します。
慶長19年(1614年)新宮藩主になっていた浅野忠吉が、大坂冬の陣で出陣した隙を狙い北山一揆が発生しました。この一揆も20日足らずで浅野軍によって鎮圧されます。
翌慶長20年(1615年)1月には残党狩りが行われ、田平子峠で363名が処刑されたといわれています。
その後、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となりました。
~周辺情報~
城跡のすぐ近くに無料駐車場があります。
続100名城のスタンプや御城印は道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里にあります。
道の駅は赤木城から車で10分です。
また、赤木城近くには日本の棚田百選に選ばれている丸山千枚田があります。
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