この戦場で最も自由な者こそが大将なのじゃ!山内上杉家15代当主:
上杉憲政。
今日においての歴史研究においてもあまり良い結果を残していたとは言えず
上杉家の当主であるにも関わらず戦国大戦でも英傑大戦でも1コスであることから
セガ内での評価も推して知ることが出来るというべきか....?
この評価を決定付けたものは、台頭してきた
相模の雄である後北条氏との決戦にある。
扇谷上杉家を中心として関東管領の山内上杉家(上杉憲政)にその他関東諸大名連合軍は
約8万の大軍をもって北条氏の河越城を包囲した(※)
この圧倒的優位な戦いであるにも関わらず、戦い前から戦勝気分であった連合軍側は
北条氏康と北条氏綱らの決死の夜戦敢行によって大敗を喫し
扇谷上杉家の当主:上杉朝定は討ち取られ(諸説あり。この戦いでは死んでいないとする説もある)
山内上杉家の上杉憲政は敗走後に急速に勢力を縮小させていった。
進退窮まった上杉憲政はこの頃台頭してきた戦上手である長尾家の
長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り
彼を
山内上杉家の養子にして関東管領職を譲渡。これが「上杉謙信」の誕生へと繋がる。
謙信が没した後の跡目争い
[御館の乱]では
景虎側を支持。
景虎側が劣勢になると景勝との調停に向かおうとしたが、その途中で景勝方の刺客によって討ち取られた。
※この時の河越城の守備兵3000と救援兵合わせて約1万。
戦力差が約8倍に及んだことが開幕台詞「我が兵力は敵の八倍じゃ~♪」の元となっている。
長兄の英傑大戦:
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