敵陣に突入する!俺に続け!!曹操一族衆:
曹仁。字は
子孝。
曹操軍のエリート親衛騎馬軍団
「虎豹騎」を率いた曹純は曹仁の弟であり
虎豹騎と名付けられる前の騎馬軍を指揮していたのは曹仁であったと伝わる。
黄巾の戦いにて曹操が旗揚げした際に他の一族衆が曹操の下に続々と結集したが
その中でも
曹仁の参戦は最も遅かった。(彼の落城台詞[覚悟を決めるのが遅かった]に反映されている)
三国志演義ではやはりと言うべきか蜀側の引き立て役になっていることが多いが
正史での彼の敗北は対周瑜(荊州防衛戦)ぐらいであり
そもそもが正史での周瑜は完全無敗の超人に近いのでそこまで不名誉なことではないうえに
その敗北に関しても一方的に負けたわけではなく
周瑜を負傷させるまで迫ったと言われている。
(この関係で
周瑜の計略に曹仁を入れると特殊台詞が発生)
樊城の戦いでは頼みの綱であった援軍(于禁/龐徳)が壊滅するも、じっと耐え続けて
蜀を裏切った呉軍の到着によって一気に形勢逆転。関羽軍を打ち破った。これらの軍功から
「守りの名手」として名が残っており、英傑大戦では難攻不落の計略が与えられ
三国無双では比較的早期からの参戦及び
「守りの名手→防御に定評→全身鎧おじさん」として登場している。
(三国志大戦4でもやはりと言うべきか全身鎧の守り重視計略で出ている)
長兄の英傑大戦:
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